罪を犯した者に対して顔や腕などに刺青を施す行為は、古代中国に存在した五刑のひとつである墨(ぼく)・黥(げい)と呼ばれた刑罰にまで遡るとされる。
墨刑は額に文字を刻んで墨をすり込むもので、五刑の中では最も軽いものだった。前漢の将軍・黥布(英布)は若い頃に顔に罰として刺青を施された事から逆に自ら黥を名乗ったと伝えられている。
日本書紀中にも、履中天皇元年四月に、住吉仲皇子の反乱に加担した阿曇野連浜子に『即日黥』(その日に罰として黥面をさせた)との記述があり、雄略天皇10年10月には宮廷で飼われていた鳥が犬にかみ殺されたので、犬の飼い主に黥面して鳥飼部(とりかいべ)としたとの記述がある。
江戸時代には左腕の上腕部を一周する形で一、二本のライン(単色)を彫る刑罰が行われた。施される刺青の模様は地域によって異なり、額に刺青をして、段階的に「一」「ナ」「大」「犬」という字を入れ、五度目は死罪になるという地方もあった。
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